Drifter

Blowin’ In the “Ohio” Wind

ご周知の方も多いと思われるがDrifterについて少し。
1977年創業のDrifter Sports & Travel Bagsは、元々スカイダイバーのハーネスやパラシュート等ギアパーツを生産していたという背景を持っている。ベトナム戦争の終結後、顧客らの依頼で鞄を作り始めた事がきっかけとなり、同社はバッグメーカーへとシフトチェンジする事となった。

1977年の日本といえば沢田研二が「勝手にしやがれ」を歌い、ピンクレディーが「ペッパー警部」や「S・O・S」で旋風を巻き起こし、キャンディーズは「普通の女の子に戻りたい」と言い残して解散をした年。日本専売公社(JTの前身)はマイルドセブンを発売、アニメだとヤッターマンやルパン三世の放映開始もこの年だ。
一方、彼の地アメリカでは当時無名だったイタリア系の俳優シルベスター・スタローンが自ら持ち込んだ脚本でロッキー・バルボアを演じ、見事アカデミー賞に輝くという絵に描いた様なアメリカンドリームを実現した。音楽業界では皮肉たっぷりに”アメリカの精神(スピリット)の終焉”を謳ったイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」が最優秀レコード賞(!)を受賞するという、アイロニカルではあるものの(ある意味)希望に満ち満ちた年代とも言える。

そんな時代にオハイオ州クリーブランドの郊外・パルマという小さな町の工場でスタートしたブランドは、当初学校やクラブチームからスクールバッグ等の依頼を受けバックパックやダッフルバッグの生産を開始。パラシュートをブランドネームに取り入れ、軽くて使い易くしかも丈夫なバッグを作り続けた。現在のオーナーは初代からビジネスを引き継いだ2代目だが、そのモノづくりの精神やブランドの理念をしっかりと継承している。

年に数回、出張でオハイオの工場へ出向く。駐車場に車を停め工場のドアを開けた途端、中西部北東側特有の少し湿った空気に混じり縫製工場独特の匂いと音がやって来て身が引き締しまる。カタカタカタ、、、トントントン。バンバンバン。ミシンを使って縫う人、ハンマーで何かを叩いている人、電動カッターで生地を裁断している人など、間近で見るクラフトワーカーの手捌きにワクワクは止まらない。

東京で生活する僕にとって、これらの体験は言うなれば大人の社会科見学である。生地を裁断しミシンで縫製。ファスナーを取り付け、最後に裏返す。いつも見慣れている商品がこういったプロセスを経て組立てられていく様は何度見ても面白い。愛着も湧いてしまう。

筆者は1979年生まれなのでDrifterより2歳年下だ。約20年程前、多感な時期に渋谷や原宿・代官山等へ足繁く通った時期に出会った舶来品の洋服・バッグ・雑貨。数少ない情報からの影響なのか当時はただただそれらに憧れていて、”MADE IN USA”と書かれた無骨でシンプルなアメリカ製のプロダクトデザインには特に魅了されていた。Drifterというブランドは正にその当時の想いを蘇らせてくれる。何か特別な感情と興奮、あの頃と変わらぬ感覚。

余談だが五大湖の一つ、レイク・エリー(エリー湖)へは工場から10分程で行く事が出来る。湖岸で吸う煙草も格段に美味しい(最近はもっぱらiQOSだが)。

そういえば津軽海峡・冬景色も1977年だったな。

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