ブレードランナー

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」-My Favorite Choice #5- / Creator’s View【Column】

こんにちは。

令和元年の初月となった今年の5月が早くも終盤を迎え、かなりのインパクトがあっただけに長期GWもなんだか逆にもう遠い昔の様に感じてしまいますね。しばらくは梅雨までの間の束の間の晴れ間を楽しみましょう!

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★さて今週のブログですが、久しぶりにDrifterのクリエイティブディレクターY・Ochiai氏による不定期コラムをお届けしたいと思います。第5弾となる今回は、80’sにおける“サイバーパンク”ムービーの金字塔として今もなおその影響力を保ち続ける傑作SF映画『ブレードランナー』について彼の並々ならぬ想いを独特の切り口で語って頂きます!!

▲注意点として、文章を組み立てる際には内容について一切検索等を行っておらず、全て本人の記憶のみで記述されています。その為一部事実と異なる場合がございますがコンセプトを尊重する為原文そのままを掲載致します。予めご了承下さい。

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※私はアメリカの作家「フィリップ・K・ディック」が生み出したSF小説「Do Androids Dream of Electric Sheep ?」をリドリー・スコット監督/ハリソン・フォード主演で映像化した”ブレードランナー”という映画が自身の中で生涯No.1だと思っている。

★第三次世界大戦後の未来、労働力として火星に派遣されていた8体のレプリカント(人造人間)が叛乱を起こし地球に逃亡。サンフランシスコ警察に所属する賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)である主人公「リック・デッカード」がそれらを「処理」する、というストーリー。小説と映画では細かい設定やシークエンスが変更されているが、現代のSF作品でも相変わらず掲げられる永遠のテーマ”人間とは何か?””人間と人造人間(アンドロイド)との違いは?”、また”生命の定義”という根本のテーマは変わっていない。

★大戦によって生態系が壊滅的な被害を受けた為、生物は虫一匹ですら法によって厳重に保護されている。また科学技術が高度に発達している為、本物と見分けがつかない程の「機械仕掛けの生物」多数存在。特に人造人間に関しては感情と記憶を持っていて、自分自身が機械である事を認識出来ないレベルの個体が存在している。そんな世界で主人公デッカードは「処理」を進めて行く中、”人間よりも人間らしい”レプリカントと出会う事により次第に生身の人間と人造人間の境界線が曖昧になってゆく。小説のタイトル「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」とは、作品の根源的な思想を素朴な問いかけに集約した主人公のこの一言がそのまま掲げられた形である。


★聊か曖昧な記憶ではあるが、確か小学生時代に父親と一緒にまず映画「ブレードランナー」を鑑賞。幼心ながら不思議な魅力に取りつかれ、その後中学時代に深堀りをしてフィリップ・K・ディックの原作にたどり着き映画とはまた異なる深い世界観に没入した。また別の機会に触れるつもりだが、この作品以前に同じく父親からの影響により体験していた大友克洋氏の「AKIRA」や「童夢」他短編集等に深く感銘を受けていた(本作品の舞台は奇しくもAKIRAと同じ”2019年”!!!)。表現方法は異なるものの”生命の根源”というストーリーの根底に横たわるテーマ(だと私は勝手に思っている)に共通項を見出した故か、同じく私の心に深く刻まれた。


★さて、今回は小説版ではなく映画「ブレードランナー」の方へ焦点を当てていこうと思う。これまで数パターン(オリジナル・インターナショナル・ディレクターズカット・ファイナルカット等)が公開より時を経てリリース、今なお根強い人気っぷりが垣間見える。この作品の魅力を一言で表す事は到底不可能であり、これまでのブログで紹介してきたコンテンツ同様あらゆる要素が絡み合って生じた”現象”であると考えている。まず外す事の出来ない要因として「シド・ミード」の美術デザイン、ヴァンゲリスのサウンド、そして卓越した映像センスを発揮した監督「リドリー・スコット」、”ハン・ソロ”とはまた違った魅力に溢れた主人公デッカードを演じた「ハリソン・フォード」。酸性雨の降りしきる近未来のサンフランシスコ、そこに華やかさ等は一切無く、所謂”ディストピア”として描かれた世界。東西の文化が入り乱れ、多数の言語が飛び交う雑然とした光景は正に現代日本とどこかイメージが重なる。こうして挙げているとキリがないのだが、その中でも特に私の心を掴んで離さないのが「ルドガー・ハウアー」演じるレプリカントのリーダー”ロイ”。戦闘用レプリカントではあるが随所にインテリジェンスに溢れたセリフや表情を散りばめ、また人造人間の狂気と悲哀を込めた素晴らしい演技にはただただ敬意を表する他ない。

★その中でも特筆したいシークエンスと言えば、私が”数ある映画の中の場面でも最高峰に位置する”と考えるラストのデッカードを前にしたロイによる独白シーンだ。

「お前達人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦、タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム。そんな思い出も時間と共にやがて消える、雨の中の涙のように・・・。死ぬ時が来た。」

(原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhauser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.)

※最初にブレードランナーを鑑賞してから数十年、その後数々の映画を鑑賞して来たがこのシーン以上の感動には未だ出会っていない。ロイを演じたルドガー・ハウアーの完全なるアドリブの様な記事を度々見かけるが、実際はそうではないらしい。脚本家の書いた台詞が長過ぎたと判断した彼がイメージを要約し、ラストに「そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように・・・。死ぬ時が来た。」という感動的な言葉を付け加えて完成したと言われている。実は映画中盤、眼球職人チュウの工房で同じくロイが発する台詞「燃える様に天使は落ちた。轟く様な雷鳴が岸を転がり、怪獣の火と共に消えた~」と対になっていて、またこの一文はアメリカの詩人ウィリアム・ブレイクの詩のアレンジである。


★作品の外郭である美術・技術が素晴らしいのはもちろんの事だが、フィリップ・K・ディックの素晴らしい原作を下敷きにしている以上映像化する際には物語の核である根源的なテーマが揺らいではいけない。そしてブレードランナーがなぜ優れた映画として現在でも高い評価を得ているのか、という答えはこの深い世界観にあると考える。80年代当時、SF映画と言えばハリウッド全盛期ならではのブロックバスター的な冒険活劇やファンタジー映画が数限りなく生み出されていた。もちろん中には本作品同様今でも高く評価されている作品も存在するが、大多数は”時代”という流れの中で生まれた一過性のエンターテイメントに過ぎない。そんな浮足立っていた時代に生まれた”SF映画の特異点”と言っても過言では無いと思われるこの映画を生み出したリドリー・スコットは、ほぼ同時期に「エイリアン」という傑作も生んでいる。スピルバーグが描く”友好的な地球外生命体”という概念を根底から覆し、ひたすらに自らの生存だけを追い求める「純粋且つ完璧な生命体」であるゼノモーフは観る者に嫌悪感と同時に美しさすら感じさせた。彼の描く世界は常に同じテーマを作品の奥深くに置いていると私は考えていて、「エイリアン」も本作品同様”絶対的な存在”たるゼノモーフを前にした状況下での”生命の在り方”についてという点。そしてもう一つ、「一度動き出したら絶対に止まらない”システム”」。物語の核となるこういったテーマは以後のリドリー・スコット作品でも随所に散りばめられているのである。


★また忘れてはならない点として、この映画が影響を与えた以降の作品群だ。特に挙げるのならば「GHOST IN THE SHELL(攻殻機動隊)」が最も顕著な例ではないだろうか。鬼才”押井 守”が手掛けた94年のアニメ作品を初めて鑑賞した際、真っ先に思い浮かんだのはこのブレードランナーだった。膨大な拡張を続けるネットワーク・テクノロジーの進歩と反比例する様に描かれた登場人物達のアナログ的思考と台詞。東洋的仏教思想をベースに概念的・観念的な”教訓”とも取れるその思慮深い台詞の数々に身震いした事を今でも記憶している。


★若干話が逸れたが、近年公開された続編「ブレードランナー2049」もまた非常に奥深い人物描写とオリジナルからの繋がり(タブーに触れる驚愕の)で大変興味深い作品となった。ここで語るには聊か長くなり過ぎるので割愛させて頂くが、新たにメガホンを取ったドゥニ・ヴィルヌーブ監督も「プリズナーズ」「ボーダーライン」「メッセージ」といった人間の深層心理を深くえぐった描写で話題の人物だけにリドリー・スコットも安心して采配を任せられたのではないだろうか。


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★現実世界においても技術革新が著しく、我々の身近な所でもAI(人工知能)やネットワークの拡大等ひしひしと映画の世界に近づいている実感を覚える昨今。数年先にはレプリカントの様な存在が一般的になり、「ターミネーター」の様にAIがネットを支配する可能性も出て来ている。そんな時にこそ「人間という存在」の真価が問われるのではないだろうか?未だその謎が完全には明らかになっていない人類の起源やメカニズム、そして我々はどこに向かっているのか?その答えを導き出す事こそが人類の存在価値なのかも知れない。

Written by Y.Ochiai